
Bed jw Fordの服。
昨年の夏、慎平さんとお酒を飲んだ時に、「来季のテーマは”リゾート”で考えている」と言われた。
なんでも忙しすぎて休みたくなったのだけれど、休めないから自分が作る世界で休みをテーマにしたい、とのこと。
その発想自体がデザイナーらしくていいなあと思いながら、コレクションの発表を心待ちにし、いざ発表されたコレクションテーマは「Working Class Theater」。思いっきり労働者階級を描きました。思わず笑ってしまった。
展示会でよくよくお話を伺ってみると、「何のために休むのか?もっと良い洋服を作るために。心の底から欲している休みは再び洋服へ向かうための休みであって、コレクションのテーマが休息の裏にある労働へと向かっていった」とのこと。

この服は、きっと休みに着る服。
コレクションのテーマは労働者なのだけれど、この服からは労働の匂いが少ししかしない。(切りっぱなしの裾など)
襟の内側からフードが出ているし、首元は胸より空いている。でも袖口はシャーリングじゃなくてカフス。完全なカジュアルではなく、なぜか品もある。
思えば僕も含めてお店のスタッフは、織地のパーカーを好む。スウェットパーカーを着ないわけではないんだけど、圧倒的に織地のパーカーの方を好む。みんな、やや捻くれているんでしょうね。
絡み織の生地なので、糸と糸の間に適度な隙があって、通気性がいい。ドライなタッチです。
労働者のコレクションの、B面。裏側のストーリー。悪くないですね。
そのワーカーは、人の波にさわられることなく、迷いもなく目的地に向かって歩く。それは夕刻、あるいは空は最も暗く、時には雨さえ降っている。必要な懐中物と共にゆく帰路は、昨日と同じで、明日も同じ。時間の経過を受けハリがあったはずのシャツはよれ、ネクタイは緩み、袖はめくりあがっている。身体は疲れを訴える。「早く帰りたい」と心は叫ぶ、「ゆっくり寝たい、休みたい」と願う。が、やはり、ワーカーの足取りに迷いはない。すでに、生きる活力を見出している。凛然としたそのワーカーのシナリオにある矛盾を乗り越える少しの勇気と些細な幸せが、心の疲れを昨日に置いておき、また同じの新しい今日を歩かせる。
休息への渇望。忙しない日常からの逃避。人々と共有できるであろうそれらのシンプルで純粋な感情が、2025年春夏コレクションの出発点にあったと山岸慎平は話します。主観で見出されたリアリティをコレクションに昇華させていく彼にとって、実際にデザインを介して胸中に広がったのは、働く人々の汗や、その姿にある「現実そのもの」であったと言います。「家族や恋人、自分の願望や欲求、幸福、護りたいものや自分の夢のために働くすべての人々の存在は、デザインに少しばかりの前向きな茶目っ気を与えてくれました」
デザイナーは、オフィスワーカーから現場作業員、身近な暮らす家の管理人に到るまで、働くすべての人たちが労働を終え、帰る姿を想像していきます。「いつも通りに帰宅する」。しかし、例えば、家で待つパートナーとのひと時のために花やワインを買ったり、娘のために大好きな100円のラムネを買って帰る。「何気ない時間には、等身大で、極上の幸せが宿っているのではないか」と自問しながら、「そのことを自覚すると、途端に、疲れ切って気の抜けた後ろ姿には作りものではない真似ができない美しさが宿っているのです」と話しました。
2025年春夏コレクションのパターンに込めたムードは、ブランドのシェイプを下敷きとして、「働くものたち」の装いの瞬間をとどめた形状として形作られています。ストラップで固定できるシュリンクした袖元や、成り行きに逆らわない自然なヘムラインは、基調となるセットアップやしなやかなシャツと共生することで、シックな厳格さを気取らない姿が交流するユニークなシルエットを描きます。これまで以上に軽妙な山岸のウィットは、就業の音を奏でる小さな鐘、観るものの直感に委ねた楕円のテキスタイル、重厚なバックルを備えたアソートのベルト、休息を望む心を表した羽などの立体化したモチーフを通して人々の心境を直喩していきます。背筋が伸びて、まっすぐな目で闊歩するあるひとはレザーで作られた工具バックを手に、草臥れたシューズとともに忙しなく歩き回ります。
こうしたブランドが志向するノンシャランな風貌は、「このコレクションは、働く人たちに向けた賛歌と共感なのだ」と話すデザイナーにとって、疲れを知り尽くした人々の内発的な魅力そのものである。「奇跡のように何も起こらない当たり前の生活を愛おしく思える心を持つ、働く人々が織りなす劇場でもある。私も、そのキャストの一員でありたい。」
ちなみに、リゾートをテーマにしようかと社内で話し合った時
「じゃあ慎平が今1ヶ月休めるとしたら、どこに行くの?」
「NY」
「そこは世界で一番忙しい街だよ。だめだこりゃ」
という会話があったらしい。
僕はこの話、結構好き。