
5月下旬。入荷は一段落どころか、ほぼない。6月下旬くらいから秋冬物の提案が始まる。
つまり、この時期は書くことがない。ブログを再開する時期をミスったのかもしれない。
ということで今日は日記というか雑記というかそういうものをベースに書いてみようと思う。

今日は5月下旬の割に、寒い。普通に羽織が必要で、半袖で歩いている人はいない。花見の頃の浮かれた感じと夏の花火大会の間で、梅雨の前の季節。ハレとケでいえば圧倒的なケ。なーんにもない季節。30歳を超えてからようやくこういう季節を穏やかな気持ちで過ごせる様になった気がする。若い時はもっと刺激的な日々を、衝撃的な出会いを求めていた。求めていたということは手にしていなかったということだ。30歳を超えてから過ごす日々、会う人の方がはるかに憧れていた人で刺激的だった。20代の時のような無垢で新鮮な感性で会えていたら、人生観が変わったのかもしれない。人に人生観を変えられるには年をとり過ぎたようだ。とはいえ、東京に行って話す人々にとって僕は若造なので、仙台にいる自分と東京にいる自分の扱われ方の違いに少し笑ってしまう。仙台ではベテラン、東京ではまだまだひよっこ。どちらの自分も楽しめている。面白いものの面白がり方、カッコいいもののカッコ悪さとかはまだまだ先輩から教わることが多い。Varde77の宮田さんと話すたびに自分への影響を感じる。仲の悪かった両親に少し歩み寄ろうとしたのはこの人の言葉があったからだ。また何か面白いことができればいいなあ。次は何を作りましょうか。どうやって世間を面白がりましょうか。

そういえば2~3年前の自分は少し洋服に飽きていた。飽きていたというより10代や20代の頃の情熱で向き合うことが難しい時期だった。パンデミックの頃だったのも関係しているかもしれない。何か大きなきっかけがあったわけではないのだが、今は洋服が楽しい。20代の時より全然楽しい。難しい時期を乗り越えた先に楽しさが待っているのならば、この先難しい時期をまた迎えたとしても大丈夫だろう。トンネルを抜ける、リズムを取り戻すことは可能なのだから。今年度から毎週花を買っている。お店の花と自分のデスクに置く花を。買いに行くのは少し面倒だし、買ってから花を持って歩いていると色んな人の視線を感じて恥ずかしい。高揚と羞恥の入り混じった感覚は、洋服屋になる前に洋服を買って帰ったあの日の気持ちに似ていた。疑似体験で、追体験でもあった。花を飾ることを始めてみて分かったことは、花を飾ること自体に意味があるのではなく、水を毎日変えることがその本質的な意味であることだった。自分より圧倒的な弱者に対するケアを行うことで、自身がケアされる感覚があった。ちなみにランニングは続いていない。続いていないことを認識しているので、続くと思う。新しいことを始めるのは億劫だが、ほんの少しの勇気を持って続けていければいいのかもしれない。

今でも週に1冊は本を読む。これは全く意識的でなく、なんか読んでいる。学生時代は小説や詩集を社会人になってからは雑誌もビジネス書も。当然漫画も。写真集だけ弱いかもしれない。入荷がない時期なので、お店に少しだけ本を並べてみた。お店に並べるものだからカッコつけたラインナップになっているが、そのうちくだらない本も並べ始めるんだろう。ずっと電子書籍で読んでいたから紙の本に触れるのは久しぶりだった。これから本を買うときはお店に並べるかもしれないので紙の本を買うようにしよう。お店に並べようかと思ったのは、お店がキレイ過ぎるように感じたから。整理整頓がなされていて掃除が行き届いているということはお店として当たり前なので、ここでいう「キレイ過ぎる」というのはそういうことではない。商品しか置いていない感じ、無駄がない感じ、悪くは思われなそうな感じが「キレイ過ぎる」。もう少し雑多で無意味なものが今の我々のお店には必要に感じた。花も本も洋服屋には不要だが、必要に感じた。服と花と本が置いてある店って書かれると意識高そうで嫌味な感じがするが、花を生けている瓶はオロナミンCの空き瓶だし、置いてある本は蝶の図鑑である。意識高いんだか低いんだか分かんない感じ。そのくらいが今はちょうどいい。会話のきっかけにでもしてもらえればと思う。ちなみにこの蝶の図鑑は、子どもと天文台に行った帰り科学にかぶれた僕が寄ったエスパルの科学玩具屋さんみたいなところで買った。通路の下のラックの一番端っこにボロボロの状態で置いてあって子どもは見向きもしなかった。真っ黒の背表紙にたった一文字「蝶」と書かれた本。あまりにもカッコ良かった。お客さんには見向きもされず従業員にも大切に扱ってもらえず、ラックの端っこに追いやられた真っ黒の背表紙にたった一文字「蝶」。カッコ良過ぎるだろ。あんたはオタクの鏡や。ちなみに僕は蝶々苦手なので、あまり開いていません。
ということで、日記というか雑記というか、そういうものでした。