
仙台はテーラードジャケットが売れないらしい。
僕なんかよりはるかに経験のある先輩方が口を揃えて言うから、そうなんだろう。


結構数を仕入れたのですが、先輩方に対する反抗でもなんでもなく。
単純にこのジャケットを提案したくなったからです。

僕はドレス・ウェアを扱うお店で働いたことはないし、大学を出てからここで働いているので仕事でスーツを着る機会も提案する機会もなかった。洋服の文化的側面、音楽との関わり、社会との関係は飲み屋さんで学んだ。ドレス・ウェアに関しては全くの素人と言っていい。だから沢山勉強したし、今もしている。多くのドレス・ウェアは貴族的な文化に基づいていたり、軍服が起源になっている。貴族はフラッと飲みにいくこともないだろうし、車を運転することもないだろうし、ライブにもクラブにも行かないし、そもそも働いてすらいない。だから彼らの着るものに機能は必要ない。ただエレガントであればいい。ここで言うエレガントとは、立ち姿の美しさや所作の美しさのことだ。洋服から機能を省いて美しさを求めたものがドレス・ウェアのベースにある。
オフィス・カジュアルが社会に浸透し始めて、より一層ジャケットは必要とされなくなった。肩パットは邪魔だし、ウエストはシェイプしていなくていいし、そもそもジャケットよりパーカーの方が動きやすい。身体の動きを制限する洋服より、身体の動きを解放する洋服の方がいいとみんなが思っている。だんだんと必要とされなくなっていく洋服。ちょっとだけノスタルジー。進んで選ぼうと思わなければ選ばれない洋服を進んで選ぶ行為は僕の目にとてもお洒落に見える。




くるみボタン、ウエストのシェイプ、やや大ぶりのピークドラペル、ダブル合わせ、袖口の鈴。
全体の印象としてストイックでエレガント。この服はクラシックに基づいて製作され、動きを制限するエレガントさを持ちながら、ウエストはゆるいフィットだし、何より袖を捲るための平ゴムと労働を象徴する鈴が付いている。僕らは残念ながら(?)貴族ではない。フラッと飲みにいくし、電車にも車にも乗るし、ライブにもクラブにも行くし、はちゃめちゃに働く。貴族的なエレガンスとは離れてしまうけど、僕らの生活にエレガンスは宿らないのだろうか?飲みに行ったり車を運転したり音楽で日々のストレスを解消したりはちゃめちゃに働いたり、この日常や生活に必要な運動量を確保しながらエレガントな洋服は作れないのだろうか?というかそもそも、僕らの日常や生活はエレガントではないのだろうか?
Bed j.w. Fordの今シーズンのテーマは”Altanative Elegance”
–(もう一つの)代替となる、エレガンス。
今回のコレクションテーマを、Bed j.w. Fordの態度を、端的に表した洋服です。