007

自分の中で大切にしている文章、エピソードです。

過去のブログに載せていたのですが、いつでも読み直せるように再掲しておきます。

コロナの時の文章なのでやや時代が古く感じるかもしれませんがご容赦ください。

何回読み直しても泣きそうになる!

 

 

 

 

 

 

 

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僕は小さい時、教師になりたかった。

教師を志した時(確か小学3年生)からずっとノートの脇に当時の教師に言われて嬉しかったことと、悲しかったことを書き留めていた。

自分がまだ子どものうちに書き留めておかないと、いざ教師になったときに当時の自分が嫌いだった教師になるかもしれないと思ったからの行動だった。

自分がいざ大人になり教育のことで悩んだ時に振り返るための資料を作る意識だった。

結果、その資料は全く活かされることなく実家の何処かにある。

このブログはこれから僕にとっての”ノートの脇”的な役割を果たしていくのだろう。

今後もあからさまな商品紹介をすることはないと思う。

いつか自分の仕事に迷った時にこの文章を振り返ることができればいいなと思う。

今日は、僕にとって大切なとあるエピソードを書いておく。

 

 

 

 

2020年から始まったこのパンデミックの中、最初の頃はなぜか謎のやる気に満ちていた。

強制的に社会の仕組みや生活が変わっていって、

「あーあ、店潰れるかもなあ」

「これでお店が潰れるのは当たり前すぎてつまらんなあ」

「潰れるにしても、もっと攻めた結果で潰れるならいいんだけどなあ」

「やれることがまだある状態で潰れるのは納得いかんなあ」

「とりあえずやれるだけやってみるかあ」

「でも実際厳しいよな〜」

この辺の思考が毎日ぐるぐるしていた。

諦念半分、執着半分、みたいな感情の割合だった。

謎に別注案が多かったし、仕入れの金額も変えなかった。

こんな状況すら利用して乗り越えていくのがファッションの役目だと信じていた。

お客さんはお店に来れないから、リモートで沢山接客した。

新しいブランドも仕入れた。ヨウジヤマモトだった。

ギャルソンかヨウジか迷った。その頃の僕はギャルソンしか着たことが無かった。

何故か、お店で提案するとしたらヨウジがやりたかった。

どうせ断られるだろうと思っていたが、どうしても僕が大きな影響を受けたあの黒い洋服をみんなに見て欲しかった。

ヨウジヤマモト社は何故かウチのお店に卸をしてくれた。

その後、徐々にこのパンデミックが長期化することが分かってきて、だんだん諦念の感情が大きくなっていった。

仙台のちっちゃい店舗でいくら頑張ったところで、なあ。

それでも人の習慣はやっぱり変わらなくてお客さんが店に来た時は、いつも通りの接客をしていた。(服だけが欲しい人にとっては迷惑な、あの長い接客)

 

 

 

 

 

2021年6月中旬頃、とある女性が入店された。

通っていた学校を辞めたという、17歳の子だった。

何かのきっかけで外に出るのが怖くなって、1年くらい起き上がることができず、今は徐々に社会復帰を目指している子だった。

今でも起きたくても起きれないことがあったり、急に気分が沈んでしまったり、そんな自分このことがとても嫌いだと言う、不安定でとても人間らしい子だった。

偶然にも取り扱いのファーストシーズンであったヨウジヤマモトの洋服がそこにあった。

ヨウジヤマモトのことを知らないその子は、なんだかその黒い洋服が気になる様だった。

色々話をしながら、僕にとってはいつもの長い接客が始まった。

この洋服に込められたデザイナーの感情、そのデザインを成り立たせるパタンナーの仕事ぶり、生地を作ってくれた顔も知らない工場の人、実際に洋服としての形にした縫製者。

色んな人の色んな感情と仕事が織り混ざって、いまこの洋服が君の目の前にあること。

テキトーに作られた、外側だけ整ってるクソみてえな洋服ではないこと。

なんとか自分の仕事で社会を変えられると思っている子どもみたいな大人がいること。

この洋服を作った人たちは、絶対に着る人に幸せになって欲しいと思っていること。

様々な言葉を使いながら、精一杯伝えさせていただいた。

その子はたっぷりと間をとった後、こう言った。

「初めて洋服屋さんとこんなに長く話しました」

「明日行けなくなるかもしれないアルバイトの収入しかないのですが」

「私は、この洋服を着ている時の自分が好きなので、買います」

 

 

 

 

 

 

衝撃的だった

初めて店頭で泣きそうになった 

わたしは、このようふくをきているときのじぶんがすきなので、かいます

 

 

 

 

 

その後すぐヨウジヤマモトの展示会があった。

ウチに卸すことを決めてくれた担当の方に、このことを伝えた。

とっても嬉しそうに

「それは、麻薬のような言葉ですねえ」

「森さん、もう洋服屋さん辞められなくなっちゃいましたねえ」

「我々の洋服をそのように伝えてくれて、ありがとうございます」

と言っていた。

こんなにネットが発達した世の中で販売員がいる意味ってなんだろう

そもそも世の中に飽和するくらい洋服がある中で洋服屋をやっている意味ってなんだろう

これからも僕らには沢山の正論がぶつかってくる。

そのたびに僕はあの日17歳の女の子に言われた言葉を思い出す。

 

 

 

 

 

 

わたしは、このようふくをきているときのじぶんがすきなので、かいます

 

 

 

 

  

 

 

 

 

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