
藤田さんはたまに電話をくれる。絶対酔ってるでしょ、って時もあれば、ただただ感謝を述べられる時もある。東京に居て、自分の創作に向き合っている人が、ふと仙台のお店の人に電話してみようと思うタイミングがあることが、少し嬉しい。何より、嘘を付かずに関係性を築いていけていることは特別なことだなと思う。お店の状況や個人の環境に関してフラットに話せる大人の存在は、有難いことだ。それはそのままSulvamというブランドの魅力にもなっている。
Sulvamの洋服が放つ独特の魅力は、フリーハンドで描かれるパターンメイキングがそのままデザインに昇華されることである。(これはSulvamを扱うお店や媒体の共通認識だと思う。)要は、藤田さんが思っていることが、そのまま洋服に現れる。それは社会に受け入れられることもあるし、受け入れられないこともある。ここで重要なのは、「受け入れられる・られない」ではなく、「思っていることがある」ということだ。情報が膨大になり体系化した社会において、僕らは何も考えなくても生きていける。分からない事があると、すぐにGoogleに答えを求める。自分の悩みや疑問がオリジナルになればなるほど、検索しても答えは出ない。人に聞いても答えは分からない。自分で考えるしかない。無意識下では何も考えられないからこそ、意識的に考える必要がある。そして藤田さんは考えている。思う。作る。

初めて展示会に行った時、「Sulvamはどんな風に来てもらいたいですか?」と聞いた。
藤田さんは、「好きに着ればいい。古着と合わせても、Bed jw Fordと合わせても、SUGARHILLと合わせても、それこそYohjiと合わせてもカッコいい服を作るから。」と言われた。「Sulvamだけで着こなすのは嬉しい事だけど、それにも応えられるブランドを作りたいと思うけど、組み合わせて着ても負けない洋服を作りたい。」とも。その口ぶりは自信と野心に満ちていて、とても良かった。
写真のブルゾンには、Sulvamの面白さが詰まっている。
やや皺がかったナイロン。その洋服の構造を表すかのようなホワイトステッチ。たたきのフラップポケット。倒れた肩線。ナイロンのブルゾンは世に沢山あるだろうけど、この服はSulvamでしかあり得ない。パッと見、革ジャンのような男らしさも感じる。そして着心地は軽い。
それこそ、何と合わせてもいいんだろう。しかし、何とでも合うことを目的に作られたのではない。ありそうでない、とか使い古されたワードにも当てはまらない。世間が何を言おうと、どこに行こうと、ただ存在するだけ。懐の広い服でありながら、主張もしている。こういう洋服が強い洋服なんだと思う。

パンツは、そのシルエットに注目していただきたい。これからの方向性を示唆する意味でも。